どうもこんばんは、パトリック・ジェーンです。
ここ最近、周りの人たちが自分の乗り物をイジってます
試行錯誤、失敗しながら成功目指してヤってます
そんな大事な物をイジるお手伝いをさせてもらってて思うこと
"楽しそうでなにより"
この一心でございます
資産としての車の所有というものも理解できますし、それはそれで必要だと思います
けど、僕が応援したいのは
"自己表現としての遊び道具"
として車と付き合ってる人たち
ここでございます
"資産と遊び"
根本的な向き合い方が違うんですよね
たぶん
自分の乗り物くらい自分でイジれ!
というのは昔から同じなんですが、それを言ってるにも意味があります
人の手を借りてオナニーするのはもちろん気持ちいいけれど
とりあえず自分の手でオナニーするのが先じゃね~か?
そうです、たいして意味なんてありません
人の車イジるのが面倒なだけで、言ってるだけです
"とにかく掃除が大変"
その一言に尽きると思います
舐めれるくらいきれいな車なら喜んでイジります
イジることを自分でやれば、おのずと掃除をしてくれます
むしろイジれなくても掃除はできます
とりあえず掃除してくれ
その一心です(笑
人の考え方や趣味嗜好なんて、無限にあっていい
逆に無限にあるからいいと思ってます
これを型にはめてしまうのは、やりやすいからなんですよね
無駄を省いていくから、クオリティも上がるし、新しい発想もできる
けど、型にはめて何も出てこないなら、はめる必要なんてなくて
自由形でいったほうがいい
けど、自由形でいける人って極稀で
だからいったん制限や、縛り、型にいれる
そしたら、「ここまでいけるんや」って境目がみれるから、「まだいける」って感覚も生まれる
下向いて食い物探してる人に、惑星の話しても理解できる訳なくて
もっと違う角度で話せにゃ宇宙の神秘なんて伝わらんのです
でもね、宇宙に浮いてる惑星より、下に落ちてる食い物のほうが美味しいのは間違いないんです
実際のところ
ディープだけど、時間があるなら読んでもらいたい
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50640
PEACE