オレこのBLOGで書いてる文章って、ちゃんと説明してる風なんだけど、言葉が少ないでしょ?
「ちょっと意味が分かんないから、もう一回読んでみよ」
もう一回読むと、意味が違ってたりする
2~3日後に読むとさらに・・・
オレ、実は文章にちょっと細工してんの
同じ文章なのに、日によって意味が変わるように
どこに細工してるのか分かったら、俺にこそっと教えて
正解だったら、アメちゃんあげる
実は、物書きしだすと、そのくらいのことはできるようになる
その技術を発見するかしないかで、文章が面白いか、そうじゃないかが決まってくる
そして恐怖だったり、寂しさや楽しさも、簡単に与えれるし
手に汗かかせたり、涙流させたりって物理的なことも可能
面白いでしょ?
オマエの感情なんて、どうにでもできるんだぜ、オレ。
こないだ、「REAL」って言葉を文中にKEYとして入れてたんだけど
「REAL」 = 「リアル」 ってなんなのか、ちょっと考えてみた
辞書を引くとこうある
リアル【real】
[名・形動]
1 現実に即していること。また、そのさま。あるがまま。「現実を―に見据える」
2 表現に現実感・迫真感のあること。また、そのさま。写実的。「―な肖像画」「苦悩を―に描く」
①だとそのままで、「現実」=「REAL」ってことなんだけど
②現実でなくても、「現実感」や「迫真感」があれば、=「REAL」ってこと
つまり、現実じゃなくてもイイってこと
たとえばね
私はあの人のことが「REAL」に好きです
さっきみた映画すげ~~「REAL」だった~~
昨日悩んでて、「REAL」に考えてみたんだけど・・・
全部意味が違うし、現実なのか仮想なのか・・・・
最初の「REAL」は、「心から」で、次に「現実っぽい」で、次は「現実的」
結局、受け取り方しだいで、どうにでも取れるってこと
さっきの文章の細工の話だけど、これを利用させてもらってんの。
楽しいとか、怖いなんて感情は人それぞれ、100人いれば100通りの感情がある
たとえば、「赤いテーブル」思い浮かべてください
人によっては、木製かもしれないし、プラスティックかも知れない
テーブルの上にペンキがこぼれてるだけかも知れないし、ひとつじゃないかもしれない
文章を読んで、「想像」する
それができるから人間なんであって、人間だけが持ってる特権みたいなもん
分かりやすく、すべてのことを教科書みたいに文章書くと
その100通りが10通りに減ったり、もしかしたら1通りしかなくなっちゃうかもしれない
伝えすぎることによって、考えるってことを止めさせてるってこと
大事な想像力を捨てさせてんだよね
よく「スクール」ってやつやってるでしょ?
野球だったり、ピアノだったり、スケートもしかり、学校も
別に、批判するわけじゃないんだけど、多くの場合選択肢は狭くなるよね
広げてやるような「出来た人」が先生ならイイけど、そうじゃない人がやっちゃうと
100通りが、10通りになっちゃうんだから
怖い怖い
「上手く出来なかったら、面白くないじゃないか」 とか
「勉強できなきゃダメじゃないか」と、いわれると思うけど
プロになって、それでメシ食べていくつもりなら、その意見も当然
将来的に、博士号とるつもりなら、そりゃ結構
ってか、そもそもそのくらいの器の人なら、他人には頼らないんだけどね
で、オレら庶民は、「出来る」ことが、すべてじゃないわけだからさ
気楽にやっていこうじゃん!!って話
オレさ、スケートとかさ、サーフィンのことで
大会批判したり、意識が低いとかの話を、BLOGでしてる
世間の人から見れば、「反逆」的な扱いだと思うんだけど、逆だからね。
オレらが言ってるのは
「行き過ぎた遊びが一般的だけど、こういったスタンダードもありますよ」って話だから
だってみんな、「なんでそんなに・・・・・・?」って思うもん
だって「遊び」でしょ?
親が出てきて、「ガンバレー」って。見てられん。
CBRパクって吹かしまわってる子供に「ガンバレー」って言ってるのと同じでしょ?
「クラッチ滑ってるみたいだから、新しいの買ってあげようか?やっぱCBXがイイ?重たいけどFXでいく?」
・・・・・それはそれで面白いか(笑
ということは、スケートに親が出てくるのは、OKってことか?
まぁイイや。
言うのがめんどくさくなってきた(笑
たぶん近いうちに気づくと思うよ。
気づかない奴は、チンカスと足のつめを煎じて発酵させて作ったバクテリアを
世界中の牛のアヌスで培養させて、一年後に集めて作ったヴァギナ
ついでだから、こないだの「フャッション雑誌SUCK」に絡めて言っておきます
知ってると思いますが、ウチの店は接客しません
「コレとコレ合わせたら、もう西海岸!!」 みたいな。
だめでしょ。売る側がそんなことしちゃ。
そして気づかないとダメでしょ。
この間、話したけど、グッチの財布や、ママチャリと同じですよ
「じゃあ、裸銭で、ベンツだったらいいのか?」
そうじゃないんです、自分のために、自分で選んでないってのが問題
店で聞かれたら答えますし、接客します
でも、「買ったほうがイイと思います?」には、答えません
「自分がイイなら、イイんじゃね?」と、適当に言います
オススメ聞かれて、薦めるときも、迷って選べないくらい出します
だってよ、店のなか全部オススメだから置いてるんだし
「こーいうの欲しいんですけど、なんかオススメあります?」なら分かりますけど、いきなり「オススメあります?」はダメでしょ。
それは一通り話をした後に、出す言葉
もし、「興味があるんだけど分かんなくて」って状況なら、なおさら話さないと分かんないでしょ。
それか、分かんないなら、とりあえず買ってみる
んで、しばらくたって出た答えが自分の答え
まず行動、のち考える
で、気づかなきゃ、グッチになってく
当然、「考えてもグッチになってくんですけど・・・・」って奴も絶対にいる
そういう奴は、考えてない。
見てもない。感じてもない。
そして、たいして好きでもない。
要するに「諦めなさい」ってこと
縁がなかったってことです
イイとか悪いじゃなくて、「合わなかった」ただそれだけ。
ね、めんどくさいでしょ?
でもね、こんなこと面と向かって言ってやんないよ
言われてもイヤでしょ?(笑
こうやって、BLOGで見てりゃ「そ~~なんだ~~」で済む話
「そうだな」と思うか「そうじゃない」と思うかは、受け取り方しだい
変わらないのはオレの気持ち
「てめぇがどうだろうと、オレには関係ねぇ」
ぁあ、言ってしまった(笑
そういうことよ。
オレ偽善者じゃねぇもん
「お客さまは神様です」なんて、口が裂けてもいえない
でもね、上から目線なわけでもない
お客さんと、オレらは、「対等」だと思ってます
イイもの揃えて、それに対してお金を払って買ってもらう。
買ってもらうからには、イイものを仕入れるし、作る。
カッコ悪ければ買わなくていいし、もちろん売れない。
ただそれだけのこと。
「考えろ、想像しろ」って言ってたくせに、最後には「ただそれだけなこと」で締め
すいません、なんか適当で(笑
でも、適当ってイイ言葉でしょ?
「適切な当り」
そんなこっちゃ
PEACE OUT !!