ずっと読みたかった本を手に入れた
「ボタ山は燃えている」
1970年 初版
石炭から石油へ
高度成長期のあとのエネルギー革命あたり
閉山が続いてる時代
とある炭鉱町の、ある家族の話
DEEPな内容のはずだがコミカルに描かれていて、ほっとする
ほっとするどころか、色々と子供の頃の気持ちを思い出し泣けてくる
義理やら人情やら自尊心やら、「幸せとはなにか?」
リアルな答えがここには書かれている
大事なことは今も昔も変わらない
現在の日本の状況もこんなもんじゃないだろうか?
石油から原子力へ
原子力から他のエネルギーへ
僕は別に「脱原発」など興味はない
興味はないというと嘘になるが、怖え~な~と思ってるぐらいで留まっている
そりゃないほうがイイにきまってるが、そうもいかないのが現在の生活なわけで
「電気いらないの?」って話になってくる
家中の電気消してロウソクで生活できるのか?
洗濯は板でゴシゴシする?
僕が原発問題に発言すんのはお門違いだし、賛成でも反対でもないが、こう思う。
なにをするにしてもエネルギーはいる
料理をするにも、パソコンするにも、何をするにも必要だ
安全とか、危険の話の前に、原子力の利点はエネルギー量にある
石炭、ガス、石油の比にならないほどの莫大なエネルギー量
(角砂糖サイズのウラン燃料をガソリンに換算すると680ℓ )
それを発見したのはスゴイ事だし、利用したいと思うのが人間の欲
もしホントに安全ならこんなに便利なもの他にないんだけど、扱い方間違えると非常に危険な物質ということ
今回の事故で、「悪いのは原子力」って勘違いしてる人も多いと思うけど、そうじゃなくて
事故起こしてケツの拭き方も分からんような奴らが、「原子力」扱ってるってのが間違いなわけ
それに加担してる国はさらにウンコなわけ
国から訳分からん税金取られて、訳分からんことに使われて
それに何も言わなかった自分達にも責任はあるわけで
今回の事件で初めて気付いただけな話
原子力がなくなっても根本的な問題は解決しない
「脱原発」とパソコン使って騒ぎ
エコカーというなの新車買って、10年そこらで車をつぶす
日本の伝統は無視し、安かろう悪かろうで浪費する
こういうことが根底にある
そういうことにも一緒に気付かないと、解決までの道のりは遠い
原子力がなくたって、また違う物を発明する
だから「脱原発」じゃなくて、「脱バカ」だったり、「脱権力」が正しい運動だと思う
どんな事であれ、バランスが取れてることが一番望ましいことなんだと思います
「ボタ山は燃えている」を読んで色々と考えた
本当に大事な事ってなんだろな?
PEACE